変化

日々、変化は起こっているもので、そこには気づかないままに通り過ぎている場合もあります。
ただ、今朝自分は気づいたので、それをしれっとアップしようと思った次第です。

僕がこの町に引っ越してきたのは昭和58年5月のこと。西暦だと1983年です。
この町は当時、新興住宅地として売り出し中で、昔からいる方と、自分のように余所から越してきた方とごっちゃまぜで、しかもまだ土地が売れ残っていたので、町の中央を縦断するバス通りの周りでも野原が広がっているような所でした。
そんな頃、12歳の僕は町内にある理髪店に髪を切ってもらっていました。
たぶん中学卒業する、いや高校くらいまでかな。
中学は校則で坊主だったし、高校は刈り上げで全体的に髪をすいてもらって(「すく」って漢字はどう書くんだろう)いました。

22年程前に、またこの町に暮らすことになって引っ越してきた時には、まだ会った理髪店。また行きたいなと思いつつも、なかなかタイミングも合わずに今日になりました。22年もタイミングが合わんのかよーとは言うまい。
まあ、僕の収入というか家計では、僕ごときのカットで3~4,000円も払えないってのもあります。

で、お休みの土曜日の朝。
早朝から内職の翻訳をして、両親のお墓参りや散歩も兼ねて、所用で出かけました。
そして、上記の画像になります。
あ、あれ!?あるはずのものがない!?
ここにあの理髪店が、間違いなくあったのに。
最後に確認したのはいつだろう。
数年前とかではないはず。
せいぜい数カ月前だと思うんです。
自宅兼店舗だったので、もう商売はされてないんだろうな、お元気かな?と思いながら、その角を通り過ぎていた記憶もあるんです。
なのに更地になっている…。

僕が12歳の頃、あのおじさん(おいちゃんというような感じではく、もっと紳士っぽい方だった気がするので)はおいくつだったのだろう。
適当に考えて45歳だったとして、僕との年の差は33歳。
だとしたら、今、86歳。
更地になっているということは、ご存命ならお子さん(がいらっしゃれば)の家に引っ越されたとか、もしくは施設に入られたとか、そういうことなんでしょうね。

僕がその年になるまで、あと33年もある…。
うげ。
肉体も精神も経済力も弱まり、世の中に不満を持ちながら生き長らえているのでしょうか。
と言いながら、数時間もない寿命かも知れないですよ。
先のことなどわからない。
わかっているのは、増えていく借金、返す当てのない借金くらいかなー。

好転する人生。いい意味で変化に富んだ人生。
それで多くの人を笑顔に、幸せにできる人生。
そんな変化が起こればいいと、梅雨空を見上げる53歳のオヤジです。

ただね、多くの人を笑顔に…なんて言ってますけど、多くの人を笑顔にして、僕が犠牲になって心身共に疲弊していちゃ意味がないと思います。
それでもいい、と思っている頃もありました。
自己犠牲=美徳。
これは揺るぎないものと。
でもそこに僕の喜びがないので、今の僕はエネルギー枯渇状態。
53歳のオヤジが、こんな思春期みたいな負のループに陥るなんて、思いもしませんでした。
やれやれだぜ。

コメントを残す