実年の想い、肉体

今月末に50になります。
げー。
使っている人をほとんど見たことないですが、まさに「実年」になるという話です。
49歳でもたいがいやなぁ、と思っているのですが、50ですか、そうですか。
50げなジジイの感覚やったんやけどな。
あ、たしかに肉体的にジジイに近づいているなとは感じています。
左肩なんかとくにひどくて、動かすたびに痛みが走ります。
上がらなくもなりました。
それと今現在の職業が事務職なので、全くと言っていいほど動かなくなった関係上、足腰がすごく弱くなりました。
自分の職場のお年寄りを見ていると、やはり動かなくなるのは非常によろしくない気がします。
出会った当初は割としゃんしゃん歩いていたのに、気づいたら車いす生活が普通になっています。
うちの母上は病院に入院するまでは、町内をぷらぷら歩いていました。
自分もそうあるべきだと、ここ最近、改めて思っています。
母上が亡くなってから、いや母上が亡くなる前にオモニムが亡くなってから「母上の死」を意識し始めて、自分の中で何かが変わり始めました。
それはちょこちょことこのブログでもアップしていますが、いまだにその明確なる正体というものを突き止めてはいません。

帰宅して、せめて30分でもいいから散歩に行ければいいのですが、まずその気持ちが起こらないです。
あ、今現在は内職中ということもあり、締め切りに向かって日々驀進中なので、それを言い訳にして歩きに行かないのもあります。
いつやったかな、母上が亡くなって10日くらいして(日記を見たら3月6日土曜日とありました)ウォーキングを試みてはいるのですが、「気分良くない」とひとこと書き添えられていました。
それから2カ月経った現在、歩いてみたらどんな気持ちになるんでしょうか。
内職し終えたら、ウォーキングしよう…かな。
前向きに検討してみよう…かな。

あ、バイクに乗って通勤することは「楽しい」と思えるようになってきました。
とりあえず、ひとつひとつ。

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