雨の土曜日

雨の土曜日。
雨音を聞きながら、ノートのキーを叩きます。

「〇〇さんがこんなこと言ってます」
「〇〇さんにこんなこと言われました」
「〇〇や〇〇にこう伝えなさい」
「どうして〇〇はわかってくれないんですか?」
「どうせ〇〇は好き勝手にやるじゃないですか」

「あなたができないからこうなるんでしょ」

なんて誰も言ってこない素敵な一人の時間。
誰も不機嫌にならない素敵な一人の時間。
誰も傷つけない素敵な一人の時間。
素晴らしきかな内職。

もう誰とも関わりたくないです。
わはは。

変化

日々、変化は起こっているもので、そこには気づかないままに通り過ぎている場合もあります。
ただ、今朝自分は気づいたので、それをしれっとアップしようと思った次第です。

僕がこの町に引っ越してきたのは昭和58年5月のこと。西暦だと1983年です。
この町は当時、新興住宅地として売り出し中で、昔からいる方と、自分のように余所から越してきた方とごっちゃまぜで、しかもまだ土地が売れ残っていたので、町の中央を縦断するバス通りの周りでも野原が広がっているような所でした。
そんな頃、12歳の僕は町内にある理髪店に髪を切ってもらっていました。
たぶん中学卒業する、いや高校くらいまでかな。
中学は校則で坊主だったし、高校は刈り上げで全体的に髪をすいてもらって(「すく」って漢字はどう書くんだろう)いました。

22年程前に、またこの町に暮らすことになって引っ越してきた時には、まだ会った理髪店。また行きたいなと思いつつも、なかなかタイミングも合わずに今日になりました。22年もタイミングが合わんのかよーとは言うまい。
まあ、僕の収入というか家計では、僕ごときのカットで3~4,000円も払えないってのもあります。

で、お休みの土曜日の朝。
早朝から内職の翻訳をして、両親のお墓参りや散歩も兼ねて、所用で出かけました。
そして、上記の画像になります。
あ、あれ!?あるはずのものがない!?
ここにあの理髪店が、間違いなくあったのに。
最後に確認したのはいつだろう。
数年前とかではないはず。
せいぜい数カ月前だと思うんです。
自宅兼店舗だったので、もう商売はされてないんだろうな、お元気かな?と思いながら、その角を通り過ぎていた記憶もあるんです。
なのに更地になっている…。

僕が12歳の頃、あのおじさん(おいちゃんというような感じではく、もっと紳士っぽい方だった気がするので)はおいくつだったのだろう。
適当に考えて45歳だったとして、僕との年の差は33歳。
だとしたら、今、86歳。
更地になっているということは、ご存命ならお子さん(がいらっしゃれば)の家に引っ越されたとか、もしくは施設に入られたとか、そういうことなんでしょうね。

僕がその年になるまで、あと33年もある…。
うげ。
肉体も精神も経済力も弱まり、世の中に不満を持ちながら生き長らえているのでしょうか。
と言いながら、数時間もない寿命かも知れないですよ。
先のことなどわからない。
わかっているのは、増えていく借金、返す当てのない借金くらいかなー。

好転する人生。いい意味で変化に富んだ人生。
それで多くの人を笑顔に、幸せにできる人生。
そんな変化が起こればいいと、梅雨空を見上げる53歳のオヤジです。

ただね、多くの人を笑顔に…なんて言ってますけど、多くの人を笑顔にして、僕が犠牲になって心身共に疲弊していちゃ意味がないと思います。
それでもいい、と思っている頃もありました。
自己犠牲=美徳。
これは揺るぎないものと。
でもそこに僕の喜びがないので、今の僕はエネルギー枯渇状態。
53歳のオヤジが、こんな思春期みたいな負のループに陥るなんて、思いもしませんでした。
やれやれだぜ。

6月17日月曜日

今日、6月17日月曜日。
九州北部もついに梅雨入りをしたようです。
例年?昨年?よりも13日遅い梅雨入りだそうですね。

そんな梅雨入り宣言をしたこの日。
僕は公休日だったのですが、どうにも体調が優れませんでした。
そもそも6月15日土曜日の23時頃から、突然鼻水が流れ出して止まらなくなりました。
その日は職業訓練校時代の友人達が、わざわざ福岡や兵庫からやって来てくれて、日付を超えても話し続けていたのですが、友人達の前で流れるように鼻水が出始めたのです。
友人達の宿泊先にいたのですが、初めは埃にでも反応しているのかと思っていました。
ところが翌日、出勤した際に終日滝のように流れる鼻水に悩まされることになりました。
まあ睡眠時間も3時間ほどだったので、そのせいで体調崩したこともあるでしょう。

せっかくの休みなので、溜まっていた翻訳業務を進捗させたかったのですが、これもなかなか難しく、19時以降になってようやくエンジンが掛かってきました。

職場の人間関係や業務のこと、家庭のこと、家計のことなど、解決できないことばかりですが、なんとか生きています。
なんとか生きていますが、なんとか生きて、これからどうなるわけもなく…。
このブログではあまりネガティブなことは書きたくないのですが、心のままにキーを叩いていると、どうにも暗黒面に引き寄せられますね。
普段から心に溜めていることが漏れ出ているのでしょう。

昨日の父の日でも、妻や子ども達から温かい言葉をかけてもらったり、ブラウンの高価なシェーバーをプレゼントしてくれたりと、本当に情けないオヤジにもったいない限りです。ありがとう。

6月に入りました

6月に入りました。 一年の折り返し地点です。
そして月曜日。
ブルーマンデーをぶっ飛ばせ。
って何年言いよるんやろ。

さあ、偏頭痛も始まろうとしています。
耐え凌げ、俺。

ちなみに、朝晩が意外に寒くて、毎回MA1着ておけばよかったと後悔している初夏です。
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心軽やかに

今日は仕事帰りに、いつも車でお世話になっている向野自動車さんに行ってきました。
1年ほど悩まされてきたバッテリーの交換のためです。
初めはバッテリーの劣化とは思っておらず、なかなか交換するという考えに至らなかったのですが、さすがに1日に3回もエンジンがかからないとなると、とりあえずバッテリーを交換しようと思うようになりました。※ダイナモがイカレてるという線もあったので。

交換すると、なんか色々と設定し直さないといけないんですね。
知らんやった。
ナビは当然のこと、なんと窓の開閉も設定し直す必要があるんです。
バックモニターのトレース機能って言うんかな、そういうのもなくなったので、今度設定できる方法を探しとこう。
ついでに左リアポジションランプの点灯不良も、あっという間に直してくれました。
突然、重ステになる症状も改善されるということで、なんだかワクワクする思いで帰路に着きました。

ほんの少し心の重荷を下ろせた僕を慰めてくれた夕焼け

たいした深い理由もないのですが、いつエンジンが掛からなくなるかわからないというストレスから解放された喜び。
そんな気持ちでハンドルを握っていると、澄んだ空気に映える夕焼けが見えてきました。
嬉しいねぇ。

まあ、人生の重荷はまだまだ背負ったままですが、ほんの一瞬、刹那的な解放感に浸れた5月最後の夕暮れ時でした。

あ、先日誕生日を迎えました。
53歳になりました。
この話は改めて記事にしたいと思います。

できるかな…。

一日

今日はお休みでした。
ばってん最初から頭も重く、お腹も重く、体も重く、どうにも元気が出せない状況でした。
三女ユミとその仲間達を学校に送り、帰宅してから少々内職進めて。
そうこうするうちに叔父さんが来訪。
ウチの両親の墓参りして、一緒に昼食を取りました。
叔父さんが帰宅した後に、急激に眠気が来て昼寝をすることにしました。
内職を進めるつもりでしたが、どうにも頭が働かないのです。

ウトウトしていると電話が鳴りました。
三女ユミからです。
迎えに来てと。
時間を見ると、なんと2時間も昼寝をしていました。
いや、いつ落ちたん?

迎えに行った後に、妻ちゃんからの要望でお買い物に出動。その直後に三女ユミがヘアカットに行くというので、そこも送迎。
帰宅して夕食を取り、そしてシャワーを浴びて、ようやく内職開始。
…の前に。

ジオンの新型、ドムだ

とにかく家で内職以外のことをしたくて、Gフレームのドムを作りました。
これが食玩!?
すごいな。
バンダイ、脅威の技術力。

このドムを眺めてイジって、内職を進めます。
体調は良くありませんが、楽しい時間です。

状況次第

今朝も朝マックで内職。 自分がいつも座る場所にオシャレなおいさんが、ノートPCを開いて仕事中。
ただ、どうもリモート会議のようなことをしていて、その声が結構デカいんです。
そのためなのか、店内BGM(朝なのでピアノ)の音もいつもよりデカいんです。
まぁ図書館が開くまでの時間なので、いいっちゃいいんですけどね。
そういうこともあるでしょう。
さぁ、一日のスタートです。

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体を動かすこと

100キロウォーキングに参加しながらも、全くと言っていいほどに体を動かしていないオヤジです。
いや、運動というほどのれべるではなく、ただ体を動かせばいいだけの話なのですが、これができないのです。できない…。できない、ではないですね。する気が殆どありません。

とにかく24時間しかない一日で、どうやってその時間を捻出するんだ?と思っています。
プライオリティが低いんです、体を動かすことについて。もちろんこれがいつか命や寿命に関わることだとわかっていても、こんなに人生がしんどいなら…コホンコホン、それはさておき、やはり後回しになっています。

まずは今の仕事をしっかりやらないと。8時間+4時間?+6時間?みたいな日もありますが、そこは外せません。
通勤時間も往復で2時間。これもしょうがない。
内職も常に締め切りがやってきます。この内職、たとえ5分でも10分でも時間を捻出したいんです。そうしないと間に合わないし、お金にならないし、依頼してくれた業者さんに迷惑をかけます。

たぶんなんですけど、この内職がなければ、お金にならない時間を精神と体調管理に使うんでしょう。実際、無職で苦しかったとき、そうしていましたから。
現在(いつまで続くかわかりませんが)この内職は、違う種類の翻訳を同時進行でやっています。初の試みです。なのでしんどいです。
ただ、おもしろいのも事実なんです。
この内職、本当におもしろいんです。
誰でもできる仕事ではないってのがミソですね、はい。
本当はそれを本職にしたいくらいです。ただ世界情勢やらなんやらで、上記の「いつまで続くかわからない」ものなので、たとえ仕事が激減する情勢になったとしても、「ああ、ばってん、ねんきうさんにちろっとでも仕事してもらおうかいね」と、思っていただけるように、信用をなくさないように頑張っています。

で、そのプライオリティがかなり低い体を動かすことの話。
毎月、かかりつけの病院に行く時に歩いて行きました。
往復2キロちょっとの散歩にもならないレベル。
ただ、ちょっと負荷をかけて歩いてみたのですが、これがかなりキツくて。
ふくらはぎ、腿、腰、脇腹にかゆみがすぐに発生しました。
どんだけ血流が悪かったのかって話です。
ちなみにちょっと負荷をかけてみたと言っても、100キロウォークで25時間以内にはゴールできない速度だと思うレベルなのです。
いやはや。

これが病院に行く時のコース。
いや素晴らしい。
素晴らしいのに、敢えて目を逸らしています。
あ、帰りに父と母のお墓参りに行こうと思っていたのに、とっとと帰ってきてしまいました。
それもこれも「時間が無い」「早く仕事終わらせんと」という思いのせいです。

さあ、気分転換は終了。
内職始めますよ。

俺にはツキがある

ここ数日、天候がいいのでハンターカブを駆って出勤しています。
今日も朝日を浴びながら、キックスタート。
少々憂鬱な出勤も、ハンターカブの存在に助けられています。

サイドスタンドを蹴り、シフトを踏み込み1速へ。
そしてアクセルを回し、ハンターカブを表通りに滑らせます。
…。
あれ、なんかおかしい…気がする。
体を傾けてカーブを抜ける時に、リアタイヤが滑っている気がする。
家から2キロくらいのところで、この違和感が確信に変わります。
前にパンクした時と同じ感覚。
道路脇にハンターを停めて、リアタイヤを確認すると、やはり凹み始めていました。
指で押せるくらいに。

とりあえず家に戻って、車で出勤しなおそう。
そう思い、僕の目の前にある〇〇モ石油に少し立ち寄りました。
時間は7時前。
ちょうど店員さんが現われたので、僕の目の前に置いてある空気入れを貸して欲しい旨を伝えると、

「時間外なんで」

なんですとー。
俺の目の前に物体として存在している空気入れは、時間外だから実は存在していないのかー。
とりあえずそう納得して、リアタイヤがベコベコに凹む前に家路を急ぎます(出勤したばかりでしたが)。
そうこうするうちに、明らかにハンターカブの挙動がおかしくなってきました。
オートドリフト状態で、リアが滑りまくり始めました。
とても座っていられる気持ちになれないので、スタンディングで家にたどり着きました。

2年とちょっとで3回目のパンク

とりあえず上司とお世話になっているバイク屋のガレージレフティに連絡を入れて、車のイグニッションを入れると、
「ククク…クスン、クッ、クッ、スン…」
バッテリー切れやがりましたかー。

なんでこうも俺は…。
と、自暴自棄になりかけていましたが、まあ、

パンクが若戸大橋の真ん中じゃなくてよかった
パンクが中途半端に遠い所じゃなくてよかった
それにドリフトしてコケて後続車に轢かれなくてよかった

と思えるまでに、気持ちが回復したので良しとします。

ちなみに車のバッテリー上がりは、即ジェットブースターで対応したのでこれも良しとします。

俺にはツキがある…はず…たぶん。

若い頃とは違う

いやいや、懐古主義でもなければ、今の自分の老いを憂いているわけではありません。
ただ淡々と状況説明をするだけです。

先日、大学時代の面々と会って食事をしました。
酒を飲めない自分以外はひたすらに飲んでいましたが。
19時に飯塚で合流し、そこの居酒屋で21時までいて、その次にスナック?に22時30分くらいまでいて、その次にまたスナック?に1時過ぎまでいました。
飯塚という街は、というか自分のその友人が特種なのか、行く先々で知り合いに会います。というか、そこで初めて会った人達と意気投合して、どんちゃんします。
このパターンは僕の地元ではあまり見ない光景です。まあ、自分から飲み屋街に繰り出すことがないので、見てないだけかもしれません。しかも3次会で行ったスナックのママは友人なので、なんとも家庭的な(の割にはかなりどんちゃんしてます)雰囲気です。しかもその友人は「幼稚園からの友達やき」「小学校ん時から一緒やき」とか言って、僕が初対面になる面々を何も考えずに呼び出します。やって来る面々は、皆いい人達なので、結果的に仲良くなるのですが、この思考にいつも驚かされます。

で、その飯塚を出るのがいつも2時近くになります。
友人を送ったりして、帰宅するのは3時頃。
寝るのは4時前。
もうね、次の日キツくて。
偏頭痛も止まりません。
一昼夜経った今朝になっても、まだ頭が重たいです。
大学生の頃はオールで遊んで授業も出れたんですよね、自分。
今さらながら、すごいな。

ちなみにその友人は、昨夜も地元の友人達と飲み会だと言っていたので、連チャンで遅くまでどんちゃんしているはず。
この男は大学時代から、恐らくこの遊び方を変えていないはず。
すごいな。
老いは関係ないのかもしれませんね。

耐久レース

偏頭痛持ちの僕は、その兆候を感じたりすると、もしくはその痛みで目が覚めると、自分用に調合してもらっている偏頭痛用の薬を服用するようにしています。
多くても日に2回、週に4回ほど服用するくらいです。

金曜日、19日の朝だったかに朝から頭が重く、出勤するくらいから偏頭痛が始まりました。普段なら即、薬を飲むのですが、その日はどういうわけか「どこまで耐えられるかやってみよう」と思ってしまいました。
頭痛を自覚して14時間ほど経った退勤する頃に、小康状態になりました。
痛みは目の奥や頭の芯に残っている感じなのですが、耐えられないほどではない痛みでした。
もしかして、薬を飲まなくても俺は偏頭痛に対応できるのではないか、と期待してしまいます。

で、今日。
22日の月曜日の朝。
もう無理だと感じました。
頭痛も治まらないし、しかもこの痛みにバカ正直につき合って4日目なので、さすがに体力と精神の消耗も激しかったようでした。
一縷の希望を持って、ハンターカブで出勤しましたが、やはりしんどいのです。
自分のデスクに座って即、薬を服用しました。
普段なら90分ほどで、頭や身体が軽くなる感じになるのですが、倦怠感というかそういうものがなかなか取れませんでした。
前述のように、痛みと共に過ごした数日間の心身の消耗のせいかもしれません。

これからはやはり痛くなったら、すぐに薬を飲むようにし…たほうがいいんでしょうね、はい。