歩いてみた

休日の朝、歩いてみた。
ちろっとバイクに乗って遊んだあと、町内を歩いてみました。
気持ちいい…んですけど、腰の左側に強烈な違和感があります。
お陰で左足を引き摺る感覚が取れません。
また両肩が上がりません。
痛いです。
毎日毎日、パソコンとにらめっこの仕事やもんなぁ。
いやはや。

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30歳

実は長年の付き合いをしているアイテムがあります。
インシグニア・レザー社製のG-1フライトジャケットです。

僕が二十歳の記念として、大枚はたいて購入したジャケットです。
確か8万円くらいはしたかと思います。
スティーブ・マックィーンが1サイズ小さめ、もしくはピシャリで着るということを何かの雑誌で読んで、二十歳の僕はそれに倣ったのでした。
サイズは38。
結果、50歳になった今、G-1ははち切れそうな勢いです。

ちなみにスティーブ・マックィーンの話が出たので。
「大脱走」のスティーブ・マックイーン扮するヒルツが大好きで、大学の頃はチノパンにミディアムブルーのカットソー(みたいなデザイン)の格好をしていました。
今でも好きな格好です。
二十歳の記念にジャケットを買う、と決意したものの、ヒルツのA-2ジャケットか、「トップガン」でトム・クルーズ扮する‘マーヴェリック’(コードネームしか覚えてない)のG-1ジャケットかかなり迷いました。
結局、襟のボアが好きでG-1に決めたんだと思います。

G-1でも色々なメーカーから出ていて、皮も馬やらなにやらありましたし、年代のモデルで言うと、1990年代近くで言えば、襟のボアは黒に近い焦げ茶色だったりとかもありました。

僕が選んだのが前述のとおり、インシグニア・レザー社製のG-1だったのです。
このモデルは確か1950年代のものだったと記憶しています。
襟のボアの色も好きでした。
ゴートスキンも柔らかくて、初めから着やすかったんですよね。

恐らく21歳の頃。
ホンダ GB400TT Mk2と共に。

そして今。
Gー1を着込んで、CT125ハンターカブに乗っています。
僕と共に人生を歩んできたG-1。
30年の月日が流れました。
あと何年着れるのでしょう。
長男シュウに譲る日が来るのでしょうか。

G-1と共に歩む人生。
おもしろいですね。

去年の5月にG-1のことをアップしていました。
おもしろいですね。

20210527 誕生日

私が、僕が、いや俺が、んにゃ自分が…?
とにかく50歳になりました。
おめでとう。
一人称でなんと呼べばいいのか、年を取るにつれよくわからなくなってきました。
ちなみに50歳を「知命(ちめい)」と呼ぶらしいですね。
あ、これは数えで50歳なので、自分の場合は本来昨年の満49歳時に使用すべき言葉でした。
もひとつちなみに、この「知命」ですが、「論語」の「五十にして天命を知る」というのが由来になっているようです。

天命かぁ。
分かっとるんかなぁ。
甚だ疑問です。

この日、様々な方からメッセージやお祝いを頂きました。
普段は読むだけでアップをしていない Face Book にお祝いメッセージ頂いたのですが、それぞれの方々の誕生日にメッセージを送ってなかったので、なんだか申しわけなくて。

お祝いは職場仲間からバウムクーヘンに手作りメロンパン×3、本人が当日食べるはずだった社内弁当、調理課からの手作りチーズケーキと手作りどら焼きを、


以前の職場仲間からはボールペン(ジェットストリーム)が、

切手も凝っていて、「がんばれ元気」に「うる星やつら」です。さすが。

家族からは健康器具(兄)、Tシャツやポロシャツ、チノパンなど(妻ちゃん)、短パン(長女、次女)、ケーキを頂きました。ちなみに衣類の贈りものは、その場で着用してファッションショーみたいな状況だったので、画像はありません。
いやはや。

足を乗せて、シーソーみたいに踏み込みます。

韓国では誕生日にわかめスープ(미역국)を頂きます。
我が家でも妻ちゃんが作ってくれます。

美味

まぁ、なんとか50歳になれました。
この先、どれくらい生きることができるのか分かりませんが、できるしこ感謝の気持ちを持ち続けて生きていきたいですね。

こげな僕に関わってくださった皆さん、ありがとうございました。

20210516 長男の誕生日

先日、長男シュウが誕生日を迎えました。
17歳になります。

17歳。
僕が17歳の頃は学校生活でしんどかった時期ですね。
父上に高校を辞めてもいいか?大検で大学受験するからいいか?と尋ねたこともありました。※了承されましたが、なんだかんだでちゃんと卒業できました。

シュウも部活でのポジション争いや勉強のことで、ままならない日々をケータイ片手に過ごしているようです。
いつか僕みたいな歳を迎えた頃に、17歳の自分を思い出すのかもしれませんね。

色々あろうけど、今抱えている課題に正面から取り組んで、充実した日々を送ってください。

誕生日、おめでとう!

50の体

ちょこちょこ歩くようにし始めた今日この頃です。
もともと気持ちが全く乗らず、「なにかしたい」というような衝動もないままに春を迎えました。
通勤兼趣味用のバイクに乗っても、それほど楽しいとは思えず、せっかくのカメラも撮りたいという思いも沸かず、仕事に行って食事して寝るのがいっぱいいっぱい。
それがようやく
「歩いてみようかな」
「プラッとバイク乗ってこようかな」
「写真撮ってみようかな」
「ブログをアップしようかな」
みたいな感覚を持てるようになってきました。

ストレスなのかフィジカルの問題なのかは分かりませんが、肩に首、腰、足首あたりが凝りまくっています。
あまりのひどさに腕も上がらず、ご近所の人気整骨院にも行ってほぐしてもらいました。
前回2回のウォーキングで感じたことは、足の痛みでした。
右ひざ下あたりの痛み、両足首の痛み、左腰からふくらはぎに至るまでのしびれ。
もしかしてこれが50の体なのでしょうか?
ストレスも、僕自身の中ではかなりのもので、今後すっきりと解決できないだろうということも薄らぼんやりとわかっています。それが故のストレスです、はい。

こんな体を引きずって、あと何年かしたら、あっという間に動けなくなるのでしょうか。
ウチの母上は、最後の入院をする何日か前まで、町内を歩き回っていました。
今の自分にあれほどの「歩く」という意識を持ち続けることができるのでしょうか?

今日は仕事は休みだったのですが、うまく流れに乗りつつあると思いきや、最後は尻切れトンボに終わった感じで、なんとも言えない夜を迎えてしまいました。
明日は誕生日なんやけどな。

さて、今夜はスーパームーンに皆既月食。
僕の住む北部九州は、雨が降る寸前のようなどんよりした夜空で、なにも見えない状況です。
いやはや。

歩いてみた

久々に歩いてみた。
とりあえず3キロくらいで。
今日は気分良く歩けた感じです。
ただずぅーっとずぅーっと体を動かしていなかったので、たかだか3キロでも体がしんどいです。特に左足首、腿の付け根、臀部、腰に違和感あります。最後の方は左足を引き摺っていました。 BGMは岡田有希子さんの「Fairy」でした。

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睡眠

もともと僕は睡眠が浅い方で、何かの物音ですぐに起きてしまいます。
また睡眠時間そのものも、だいたい4~5時間。
客観的に見て、そんなに少なくないにしても、僕個人としてはもうちょっと増やしたいと思っています。
もしくは睡眠自体の質を向上させたいです。
ガッツリ寝て、ガッツリ行動するイメージです。

昨日は出勤でした。
早番担当だったので、定時で上がって帰宅したのは18時30分くらい(素晴らしい)。
妻ちゃんがカレーを準備してくれていたので、シャワーを浴び、即食べました。
その時間がおよそ19時30分。
そこから急に眠くなってきて、少し休んでいようと横になりました。
で、気づくと22時30分。
えー。
こら寝れんくなるばい、と思ったのもつかの間、そのまま寝てしまいました。
途中、トイレに行ったりもしたのですが、結局は6時30分まで寝ました。

自分としてはあまりない睡眠時間です。
寝過ぎて、ほんの少し頭の奥に鈍痛があるかな。
それと腰が痛くなっています。

職場では解決できないだろうと思われる問題に、首を突っ込んでしまっているので、ただただ疲れ切っている毎日です。
その精神的疲労・苦痛が積み重なっているんかなぁ。

そうグズグズ言っても、時間は止まってくれません。
内職の締め切りも迫ってきています。

やれやれだぜ。

同い年の父上

昭和59年5月12日。
父上が49歳になる3日前の話。
某大手生命保険会社で、労働組合執行委員に就いていた父上の退任式が行われたようです。
当時は記念品として、こういう壁掛け時計を贈っていたんですね。
…。
俺なら飾りづらい…。

僕は現在49歳。
月末には50歳になります。
げー。
僕が14歳の頃の父上が50歳。
会社でブイブイ言わせてた父上。
年収だって4桁万円は行ってたはず。
すげーな。
今の僕は、父上の稼ぎの3分の1もあるのかな。
いやはや。

同い年の父上。
なんか俺と全然違うぞ。
社会で会っていたら、友達になれたんかな。

う~ん。

そういや今日、5月15日は父上の誕生日でした。
おめでとう。

実年の想い、肉体

今月末に50になります。
げー。
使っている人をほとんど見たことないですが、まさに「実年」になるという話です。
49歳でもたいがいやなぁ、と思っているのですが、50ですか、そうですか。
50げなジジイの感覚やったんやけどな。
あ、たしかに肉体的にジジイに近づいているなとは感じています。
左肩なんかとくにひどくて、動かすたびに痛みが走ります。
上がらなくもなりました。
それと今現在の職業が事務職なので、全くと言っていいほど動かなくなった関係上、足腰がすごく弱くなりました。
自分の職場のお年寄りを見ていると、やはり動かなくなるのは非常によろしくない気がします。
出会った当初は割としゃんしゃん歩いていたのに、気づいたら車いす生活が普通になっています。
うちの母上は病院に入院するまでは、町内をぷらぷら歩いていました。
自分もそうあるべきだと、ここ最近、改めて思っています。
母上が亡くなってから、いや母上が亡くなる前にオモニムが亡くなってから「母上の死」を意識し始めて、自分の中で何かが変わり始めました。
それはちょこちょことこのブログでもアップしていますが、いまだにその明確なる正体というものを突き止めてはいません。

帰宅して、せめて30分でもいいから散歩に行ければいいのですが、まずその気持ちが起こらないです。
あ、今現在は内職中ということもあり、締め切りに向かって日々驀進中なので、それを言い訳にして歩きに行かないのもあります。
いつやったかな、母上が亡くなって10日くらいして(日記を見たら3月6日土曜日とありました)ウォーキングを試みてはいるのですが、「気分良くない」とひとこと書き添えられていました。
それから2カ月経った現在、歩いてみたらどんな気持ちになるんでしょうか。
内職し終えたら、ウォーキングしよう…かな。
前向きに検討してみよう…かな。

あ、バイクに乗って通勤することは「楽しい」と思えるようになってきました。
とりあえず、ひとつひとつ。

休日

今日は休日。
僕の命綱ともいえる偏頭痛の薬を処方してもらうために、新型コロナウイルスが猛威を振るう福岡へ、妻と行ってきました。
以前、旅行会社に勤めていた時によくお世話になった内科なのです。
そこで処方してもらう偏頭痛薬は、僕にはよく合うようで、寝不足に過食、寒さに暑さ、疲労にストレスによって生じる偏頭痛に対抗し得るものなのです。
処方箋を見せれば、家の近所の薬局でも処方もらえるようなのですが、その薬を処方する材料の在庫がなく、依頼をして渡すまでは3日かかると言われたことがありました。
わざわざ福岡まで行かなくてもいいものですが、まぁ、そこら辺はわざわざ福岡に行く機会を作りたいという思いがあるのでした。

前述のように、今日は妻ちゃんと行ってきました。
今までは一人でふらっと行って、現地でぶらぶらするのを楽しんでいたのですが、今日は妻ちゃんと行ってきました。
処方してもらうのにそこまで時間はかからず、とっととランチを食べに行きました。
魚が食べられる店で、妻ちゃんはあら炊き定食、僕は昼定食でごまブリと天ぷら盛り合わせを選択。
量も多くはないだろうと思っていたのですが、それが大間違いでした。
1,000円程度の定食にもかかわらず、量が多かったのです。
あら炊きは大きめのぶりかまが4つ。
僕の方のごまブリも大きなものが5切れ、天ぷらもエビにナス、カボチャ、豚、白身の魚と盛りだくさん。
KITTEにある海鮮居酒屋さんです。
おいしかったです。

次女ユナが短大に入学して、長女ユリも大学3年生に。
この新型コロナウイルスの影響下、オンライン授業もまた再開する可能性もあるので、早いところノートブックをもう一台買いたかったので、ヨドバシカメラで物色。

三女ユミが部活中にひどい捻挫をしてしまったので、それから下校に合わせて家に戻ることにしました。

まあ何を特別にしたとかではないのですが、なんとなく気持ちのいい一日でした。
家族と過ごすとリラックスできて、本当にいいです。

さてさて、また明日は出勤。
いやはや。

5月に入って

5月に入りました。
と言っても、もう中旬に入ろうかというこのタイミング。
全く雰囲気を醸し出さないままに過ぎ去っていったゴールデンウィーク。
僕は多分に漏れずに仕事の毎日でしたが、数年前までのような「(G)がんばれ!(W)私!」的な、一年で一番(狂うほどに)忙しいものではないのが救いです。

5月12日水曜日から、福岡県も非常事態宣言対象都市になります。
新型コロナウイルスの影響から、世界中が抜け出せなくなっています。
これからどんな世界になっていくんでしょうね。

僕はと言えば、まだまだ本調子に戻っていません。
本調子…。
本調子ってなんなんでしょう。
そもそも俺は一体何なんだって話ですね。

どういうわけか日々緊張しています。
訳も分からず力んで仕事しています。
お陰で首や肩、背中に腰に至るまで凝りまくっているようです。
胸もドキドキしています。
※学生時代に感じたときめきのようなドキドキではありません。
このドキドキが曲者で、心身ともに疲れてしまいます。
またこのドキドキが、遂には物理的な痛みになってきました。
心臓なのか胸の筋肉なのかよくわかりませんが、時々「ズキッ」と痛むのです。
いやはや。

うひゃひゃひゃと能天気な記事を書ける日。
そんな日が来ることを願いつつ、また明日というものに向かって歩んでいきます。